光り輝くからこそ「影」が美しい。陰影礼讃で読み解くザラツ研磨の魔力

2026.02.23 2026.02.23 約5分 コラム

谷崎潤一郎の随筆『陰影礼讃』。この名著の中で、日本人は古来より、明るさそのものよりも、光が生み出す「影」や「陰翳(いんえい)」に美しさを見出してきたと記されています。

一見、ピカピカに輝くグランドセイコーは、この「陰翳」の思想とは対極にあるように思えるかもしれません。「光を反射させるなら、それは西洋的な美ではないか?」と。

しかし、実はグランドセイコーこそ、この「陰影」を最も巧みに操っている時計なのです。深く黒い影を作るために、極限まで光を磨く。その矛盾した美学を実現する技術が、グランドセイコーの代名詞でもある「ザラツ研磨」です。

今回は、世界中のファンを魅了してやまないこの独自の研磨技術と、そこに宿る日本的感性について深掘りします。

1. そもそも「ザラツ研磨」とは何か?

時計好きなら一度は耳にしたことがある「ザラツ研磨」。しかし、具体的に何がどう凄いのか、その技術的な特異性を説明できる人は意外と少ないかもしれません。

ルーツはスイス、開花は日本

名前の由来は、かつてスイスの研磨機メーカー「Sallaz(ザラツ)兄弟社」の機械を使っていたことから来ています。1960年代、この機械はスイスの高級時計製造でも使用されていましたが、あまりにも難易度が高く、手間がかかるため、多くのメーカーが採用を諦めました。

しかし、グランドセイコーはこの技術に「美の正解」を見出しました。「燦然(さんぜん)と輝く腕時計」を作るためには、この方法しかない。以来、半世紀以上にわたり技術を磨き続け、今では本家スイスをも凌駕する「ザラツならグランドセイコー」という地位を確立しました。

回転する円盤に、職人の指先ひとつで挑む

ザラツ研磨の最大の特徴は、サンドペーパー(研磨紙)を貼り付けた硬い定盤(回転する円盤)にケースを押し当てて磨くことです。一般的な「バフ研磨」が、柔らかい布の円盤を使うのに対し、ザラツは硬い平面の盤を使います。

職人がケースを直接手で押し当て、指先の感覚だけで研磨していきます。一瞬でも角度がズレたり、力が不均一になったりすれば、ケースの形状そのものが変わってしまいます。しかし、このリスクを冒してでも硬い平面の盤で磨くことで、表面の凹凸を極限まで削ぎ落とし、定規を当てても隙間ができないほどの「完全な平面」を作り出すことができるのです。

実はこれ、最終仕上げの手前の「下地処理」なのです。この段階で、歪みのない完璧な平面を作っておくからこそ、その後の仕上げで、歪みのない完璧な鏡面が生まれるのです。──すべては、ここでの職人の指先の感覚にかかっています。

2. 「歪みない平面」が生む、白と黒のコントラスト

なぜ、そこまでしてザラツ研磨にこだわるのか。それは、「歪みのない完全な平面」を作るためです。

「丸み」は影を殺す

一般的な時計の多くは、ケースの角を丸める「バフ研磨」で仕上げられます。丸みを帯びた面(曲面)は、光を柔らかく反射しますが、同時に光と影の境界線を「グラデーション」にしてしまいます。つまり、ぼんやりと光るのです。

「平面」は影を際立たせる

対して、ザラツ研磨によって作られたグランドセイコーの平面は、鏡のように景色をそのまま映し込みます。そして、平面と平面が鋭く交わる「稜線(エッジ)」が生まれます。

この鋭いエッジによって、光が当たる面は強烈に白く輝き、影になる面は漆黒のように黒く落ちます。中間色のない、バキッとした「白と黒のコントラスト」。これこそが、グランドセイコーの輝きの正体であり、他の時計には真似できない特徴です。

3. 遠くからでもわかる存在感。タクシーの中での色気

この「コントラストの強さ」は、実生活でどのような効果をもたらすのでしょうか。それは、「遠くからでも良い時計だとわかる」という視認性(被視認性)です。

ぼんやり光る時計は、近づかないと質感がわかりません。しかし、GSは数メートル離れていても、光を拾ってキラリと強く輝きます。

特に美しいのが、薄暗い場所です。例えば、夜のタクシーの中。街灯やネオンサインのわずかな光が車内に差し込んだ瞬間、手首のGSがその光を鋭く反射します。「闇の中でこそ、光は際立つ」

薄暗いバーの照明の下なども同様です。この「色気」は、明るい蛍光灯の下では気づかない、オーナーだけの楽しみです。

4. 西洋と日本。時計における光の捉え方の違い

ここで、冒頭の『陰影礼讃』の話に戻りましょう。谷崎潤一郎は、西洋の美を「光を求めて隅々まで照らす文化」、日本の美を「陰翳を認め、その中に美を見出す文化」と対比させました。

西洋時計:光を拡散させる

多くのスイス時計やジュエリーは、ダイヤモンドを多用したり、複雑なカッティングを施したりして、光を「拡散(キラキラ)」させようとします。これは、空間全体をシャンデリアで明るく照らす美意識に近いかもしれません。

グランドセイコー:光を切り取る

一方、グランドセイコーは、光を拡散させるのではなく、整然と反射させます。日本刀の刃文や、寺社の床板に反射する光のように。

「影を濃くするために、光を整える」──このアプローチは、行灯(あんどん)のほのかな明かりで生活していた日本人のDNAに深く刻まれた美意識と共鳴します。

5. 「ほの暗さ」を楽しむ。大人だからわかる渋み

若い頃は、わかりやすくキラキラしたデザインに惹かれるかもしれません。しかし、年齢を重ね、様々な経験を経た大人の男性・女性は、この「陰影の深さ」に惹かれます。

派手な装飾はいらない。ただ、磨き上げられた金属の塊があればいい。

手首を返した瞬間に走る、一筋の鋭い光と、その横に落ちる深い影。その一瞬のドラマに、職人の魂と、日本の美を感じる。

グランドセイコーを持つということは、そうした「静かなる美」を理解する知性を持つということです。

6. まとめ:光を操る装置としての腕時計

グランドセイコーは、時間を知る道具であると同時に、一種の「光を操る装置」でもあります。

ザラツ研磨は、単に表面を綺麗にするための工程ではありません。それは、時計という小さな立体物に、無限の奥行きと表情を与えるための「演出」なのです。

もしあなたが、グランドセイコーを手に取る機会があれば、ぜひ色々な角度から時計を傾けてみてください。そして、明るい場所だけでなく、少し影のある場所に持っていってみてください。

そこで初めて見せる、ハッとするような黒い影。その美しさに気づいた時、あなたはもうグランドセイコーの虜になっているはずです。

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落ち着いた雰囲気のバーカウンターで時計について語らうこともできる。

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